きわめて恋らしきもの(確かに存在する逃げ道)

悲しくもないのにないている。

 

こんな夜は好きにするのがいい。知っている。

 

ないている。声に耳を澄まして。

 

聞こえぬ声を思って。ないている。

 

 

自分に正直にならなければならない。誰も見ていない、ここでくらい正直でいたいと思う、が、恋。をしてしまう。ここで僕は一人の人に特定の感情を感じてしまう。シャイだから。ここぞで気楽に向かえないから。うじうじしてしまう。その気持ちは派生して。ありとあらゆる場面で自分を内向的に変えてしまう。ここでもっと、がりっと文章がかけたなら、なんでもいいんだ。かけたなら。もう一段階先の自分になれるだろう。どうにも、弾けきれない自分は、固いままのポップコーンみたいに、塩辛い。僕としての意味はなさないのではないかというくらいに不甲斐ない。ごまかす為に、いつもより多めのお酒を飲んでみる。ふわふわしている。ちゃんとはじけたポップコーンみたい。でも、それはアルコールの幻想です。何一つ解決しちゃいないのです。どうしたらいいかわからなくて、君にはメールを送れなかったの。まるで童貞じゃないか。そのとおり童貞さ。

 

誤魔化して昨日書いた散文詩を頭に乗っけてみたけど。ちぐはぐな内容は自分を後から切り裂いていく。ばらばらになった僕はニコニコ笑って、こんなもんだよとはぐらかす。ああ、世界に誠実じゃない。

 

楽しいね、楽しいよ。幸せかい、幸せさ。


なんてったの フィッシュマンズ

ぐちゃぐちゃ雑感

出会いがあれば別れがあって、そしてその逆もまた。いろんなことがあるもんだ人生。

 

もっと文章にぶつからなければならない。僕の中の僕と、僕とで喧嘩しなくてはならない。くだらないことにいらついている場合ではない。邪魔をしないでほしい。そして自分も本気にならなければならない。いや、本気になる。もっとしっかり言葉を吐き出して、受け止めて、考えて、魂をぶつけて。何かやるときにはいつも見えない壁のようなものに遮られて、それを良い感じでぶっ壊せたときに自分の芸術は完成する。今だってきっとそうさ。もっと自分であるように。そうすればむかついてかなしんでよろこんで見えるはず。

 

すごくいろいろ逆境なはずなのにすごく楽しい。逆境を楽しめている。挑んでくるもの協調してくれるもの、全部ぜんぶ愛しくてたまらない。そんな様子を見て友達は何もやってなくても薬をやっているみたいだと笑った。そうね、確かにそのとおりね。アングラを行く僕だけど薬に手を出していないのはそのせいかもしれない。あるいはお酒が好きすぎて、ずっと好きなお酒を飲み続けたいせいかもしれない。

 

オカルトはてっきり嫌いになってしまった最近だけども、憑き物みたいな力はやっぱりあるような気がしてならない。虫の知らせというけれどおばあちゃんが危篤のときはそわそわしてたまらなくて、普段より親に頻繁に連絡をとったし、死んだ時はすべての予定が丁度よく都合がついて帰省できたし。東京はすごく合う土地だけど、何もない状態だったらこなくて、引き寄せられた気がする。最近気に入った居酒屋も縁というかそれに近しいものを感じる。全ては思い込みの一言で片付けられるけれども。しかし、それがあるとすれば友人が一人(+一人も死んでいるような気がしてならない)自殺で亡くした僕は相当その力を得ているような気がする。ライブをしていた僕は僕ではない何かで、降りてきたそれぞれによっての表現だった。ボーカルを食ってステージの中心にたまにいたのも、ボーカルには憑き物がなくて、僕には憑き物があったような気がする。他力本願、だし責任転嫁だ。結局売れなかったし、今創作をやめないのもそのせいに(あるいはそれによる宿命)としている。ふがいないけど。

 

馬鹿みたいだ。馬鹿みたいさ。恋の予感と同じように、ドキドキがやめられない。


バイタルサイン【live】 / クラムボン

笑わない男

今日何したっけ?っていうくらいぼんやり一日が過ぎてった。むしろ今日という日があったのかというくらい欠落している。洗濯をしたし、お金を下ろして食料品を買ったりもした。いきつけのラーメン屋で自分のお腹にはあまるくらいの量をたいらげたりもした。なのにどうしてか生きている心地がしない。不幸って訳じゃない、むしろ幸せだし、いつもどおりの良い休日だなあと客観的に思う。たまに何かしなきゃと姿の見えない敵に迫られてあたふた、そういう要因のこともあるけど、今日はそういうわけでもない。モヤがかかったように、ただ漠然としている。氷の沢山入った薄めのコーヒーをそのまま放置してしまうような、自堕落。行き先があるわけじゃないから、それでいいのかな。行き先があればしゃんとできるかもしれない。

 

お酒を飲むとシャキっとするっていうアル中の言葉、漫画だとか創作でよく聞くじゃない。最近自分もそれがわかってきて、ちょっとまずいな、と思う。でも自罰傾向の強い今ではそれも良いのかなとも勘違いしたりもする。だめなほうへと引きずられていく。見えない敵は、確実にいるなと思う。いないのならば、こうもうまくいかないはずはないもの。

 

昨日の晩友達とずっと長話をしてた。最近特に忙しいらしいから悪いことをしたなと思った。でもお話はとても楽しくて(自分本位だったかもしれないと少し反省はしている)、その時に僕は自分が思っているよりは幸せであるようだと教えられた。わからん、いい子だから前向きにさせようとしてくれるのかもしれない。でも、そこにさえ疑ってかかるから、どうにもシンプルに着火できない。日記はなんとか毎日続けているからそれはそれで良いんじゃないかと思う。しかし人類から見た僕はどうだろうか、ゴミのようじゃないだろうか。いやずっと嫌われがちだから、そう評価する人も一定数いるのは知っているのだけど、そういう話ではなくて。地位、名誉、経済的余裕。そういう話。でもそれさえ幻想なのかもしれないなとも思う。だってそれを手に入れている人を羨ましく感じる一方で窮屈だなとも思う。何かを得るということはそれなりの代償があるということだろう。パナマ文書に名前が載っているような人だって金持ちにならなければそうはならないだろう。

 

とするとだ、僕が幸せに向かうためには何かを犠牲にする必要があるのだろうか。幸か不幸か今の僕には時間くらいしかない。その時間を怠惰に、しかしある種充実感を感じながら過ごしている。時間を失うのはいやだ。こういうくだらないことを考えて、もんやり生きていたい。それが今の自分の幸せだって本当は知っているんだ。そんな自分が大好きなのさ。

 


キリンジ - エイリアンズ

 

こどくはすきじゃない

自分の人生。選んだ人生。

 

たとえば、今日店員のうち間違えで安く済んだ買い物をわざわざ訂正しにいった。店員はくそみたいな仕事の活力になるだろうし、おれも良い気持ちでお酒が飲める。しかしそこに実はあるだろうか。たとえばそのままガメれる俺だったならば、もっと貪欲に、いろいろなモノを奪い取り、自分の実にできたのではないか。

 

責務感は強い。義務感はそれなり。だいぶ苦しい。だからやめにしたんだ。邪魔をするなら、もう君も君も君もぜんぶいらない。突っぱねて幸せになれるか。なれない。かもしれない。でも苦しいのはもう嫌だ。楽に、楽にだけなりたい。そうしたのが自分の選択なら、結果がこれ。そうするなら、間違いだったのかもしれない。それなりに幸せのような気もする。成功だったのかもしれない。わからない。わからないから、生きる。生きるのは、もう、たくさんだ。死にたい。でも生きたい。まだ活力はある。今までで一番丸いようで、一番尖っている。かもしれない。

 

癖になっているごめんねが超嫌い。自分の身を守るためのごめんね。そんなんじゃ何も得られない。さて、得ることが正義だろうか。そうではない、が。信念の問題。自分はまっすぐぶつかっていく。方法はともかく、まっすぐな気持ちを持つ。はずなのに、ごめんね。自分に保険をかける。そんなことでは、嘘になる。嘘でいい。そんなはずはない。まっすぐに、実直に、心の底は、そうあらねばならない。

 

苦しい。本当に苦しい。孤独は嫌だ。でも孤独が好き。ばらばらになっていく。自分が好き。嫌い。

 


THEラブ人間/「大人と子供(初夏のテーマ)」P.V SPOT

15番目くらいの恋

いつも終わったあとに気づく。自分の気持ち。好きとか大切だとかプラスの感情の時もあるし、嫌いとか憎いだとかマイナスの感情の時もある。いずれの場合も、空洞。胸が打ち抜かれたような虚しさが覆いつくす。今回は、どうだろう。一言でその人を表して良いものか。直感的にとらえるならば好き、だったのだろう。5年ほどの付き合いだった。

なんて辛気臭い話を回想するにはまだ早い、と思う。3回くらいある、あの子。気づけばまたふっ、とした瞬間によってくる。離れて、ばいばいって思って、忘れた頃に。そう、頭がいっちゃってるから、あの子。そういう子には夢中になったら負け。知っているのに、どうにも、魅力的だから。思わず罠にはまってしまう。猫。猫のようだ。飼い猫がいて、その猫を自分のすべてのように可愛がっていた。冗談で「Eが猫なのか猫がEなのかわからんね」といったこと、思い出す。飼い猫に喰われて、猫になっちゃったのかもしれない、なんて、夢物語。んんん、術中にはまってしまうね、まったく。

 

なーんにもならんなあ。考えるとどんどん嫌になっちゃうなあ。人生で一番の安らぎ、人生で一番の退屈。いろいろな無駄なものをそぎ落とした先にあったのは、少しの後悔と仮初の平穏でした。

高いチーズより安い味つきのチーズのほうが美味しい(ブラックペッパーだとかアーモンドのやつ)

とんでもなく眠い。ここのところ家でいい感じにリラックスできているのかテレビをつけっぱなしで寝てしまう。そのせいか、どことなく疲れが抜けてない。まぶたが鉛のように重い。自分は社会で生きていくことに本質的に向いていないように思える。むかつくことにはむかつくといってしまうし、たのしいときには声高らかにたのしいといってしまう。社会はそれを良しとしない。しかるべき場所、しかるべきタイミングで、しかるべき態度をとるべきだと社会は自由を拒絶する。むしろ自然であるだろう行動は非常識となってしまう。無常。こんなに頑張って社会にあわせようとしているのに、うけいれてくれないのは意地悪すぎる。

 

「もう自分なりに努力してもどうにもうまくいかんなら、それはもはや社会が悪い。俺は悪くない。」

 

この間ネットサーフィンをしていたらこんな文言を見つけた。革命者に賞賛をあげる聴衆のごとく、まさにそのとおりだと唸った。強い、なんと強い人がいたものか。しかしよく考えるとその人も社会適合できておらず、マイノリティの味方を一人得た(気がしている)だけにすぎないのだが。

 

ああ、楽しいことをしたい。楽しいことだけしたい。楽しいことができない。憂う。頭の使い方の問題。どう使う。わからない。わからぬまま文字をうったりゲームをしたりお酒を飲んだり。いろいろする。重いはずの瞼はなかなか眠りの国につれていってくれない。テレビが深夜番組に替わるころに自分の在り場所を確かめる。テレビショッピングに替わるころには明日のご飯を考える。それも佳境にさしかかるかどうかで地球のことを考える。今日もいろいろなことを考え確かめ感じるだろう。生きているだけで、それだけですばらしいと思う。僕の頭は僕だけのもの。悩みがなさそうだねってよく言われる。違うんだ、悩みが熟成されてしまっているんだ。チーズだったらとんでもなくランクの高いチーズだろう。でも悲しきかな人間だった。

 

でもだから人間なんだろう、とも思う。

凡人の凡人による凡人のための

怠惰な日々を過ごす最中、ひょっとしたら自分自身を追い詰めるのが好きな性分なんじゃないかって思った。誰に決められたわけでもないこのブログ、三日坊主でやめてなるものかと意地になって食らいつく。誰も見ていない、知らない文章。確かに音楽をやっていたころは基礎練を欠かしてしまったらいかんと意地になって弾き続けた。しかしそれは聞いてくれる人がいたから、あるいは一緒に演奏する仲間がいたからという理由があった。一人である状況で意地になってまで書き続ける必要はないだろう。それでも何かをしていたくて、どこかに望みを残していたくて。ひょっとしたら糞みたいな文章でも毎日書き続ければ何か変わるのではないかと思って。基礎練は裏切らない。天才になりたがった僕の音楽における究極の結論がこれだ。音楽も人も平気で裏切る。しかし基礎練習だけは変わらず安定した成果を出し続けた。天才でありたいと思う気持ちとは裏腹で、ずいぶんと平凡な才能だった。

 

平凡だから掃除をすることにした。天才の部屋は汚れていても構わないが、凡人の部屋はそれなりに綺麗でなくてはならない。ひたすらコロコロをかけた。そういえばコロコロって商標だった気がする。コ□コ□をかけた。そこはかとなく卑猥に思える。心が汚れいているからだろうか。よりいっそう掃除に精をださねば。ゴキブリの子どもが死んでいた。そう東京2年目さ、彼らの対応も心得ている。ついこのあいだスモークタイプの除去剤を撒いた。そして怪しい気配を感じた三日前ほどに待ち伏せスプレータイプの殺虫剤もほどほどに撒いた。その成果がある程度でたのだろう。しかし小さいゴキブリ、ということは近くに巣があるのだろう。今年はなんとしても見たくはない。東京に越してきたからすっかり落ち着いてしまったので、唯一て言っていいほどの天敵の彼ら。人間でもう一人天敵がいるのだけど、どうしても話がそれてしまうからまた別の機会にしようと思う。コ□コ□がすっかり汚れなくなって、それでも掃除したりないのでエントランスも掃くことにした。常日頃汚れていて、不快極まりない。管理会社に連絡をしていたのだけども一向に改善されない。天才であればここで崇高な論理で説き伏せたりするのだろうが僕は凡人。やってくれないのなら自分でやることにした。ひたすら掃いた。とにかく掃いた。どこからやってくるのかというほどの枯草、埃、なにかの包み紙。お隣さんの分をやってあげた。ちょっといいやつじゃないか、俺。なんて浮き足立ちながら掃除を楽しんだ。

 

凡人のための凡人による凡人らしい休日。掃除はお金もかからないし部屋もきれいになる。なんとなしに心もちょっと軽くなった気さえする。「ああ、おれには何の特技もないしもうダメかもしれない」そんなやつがいたら利害を無視した掃除をオススメする。恐らくだけど、プロフェッショナルの掃除には適わないし、今、その人々にとんでもない失礼を働いているのだろうが。

 

合間に大好きなシンガーソングライターの動画をみたりした。彼女の話をさっきからしたくてしょうがない。でもしないのは大切にしたいからなんだろう。昔のバンドのツイッターをみたりした。うまくいってほしい気持ちとそうでない気持ちで宙ぶらりんになった。しばらく考えて、ちょっと泣いた。ハッピーエンドになればいいなあと思った。

 

くそみたいなゴールデンウィーク。でも、過去にはしたくない話が山ほどあるのはとても幸せなことかもしれないと気づいた。