笑わない男

今日何したっけ?っていうくらいぼんやり一日が過ぎてった。むしろ今日という日があったのかというくらい欠落している。洗濯をしたし、お金を下ろして食料品を買ったりもした。いきつけのラーメン屋で自分のお腹にはあまるくらいの量をたいらげたりもした。なのにどうしてか生きている心地がしない。不幸って訳じゃない、むしろ幸せだし、いつもどおりの良い休日だなあと客観的に思う。たまに何かしなきゃと姿の見えない敵に迫られてあたふた、そういう要因のこともあるけど、今日はそういうわけでもない。モヤがかかったように、ただ漠然としている。氷の沢山入った薄めのコーヒーをそのまま放置してしまうような、自堕落。行き先があるわけじゃないから、それでいいのかな。行き先があればしゃんとできるかもしれない。

 

お酒を飲むとシャキっとするっていうアル中の言葉、漫画だとか創作でよく聞くじゃない。最近自分もそれがわかってきて、ちょっとまずいな、と思う。でも自罰傾向の強い今ではそれも良いのかなとも勘違いしたりもする。だめなほうへと引きずられていく。見えない敵は、確実にいるなと思う。いないのならば、こうもうまくいかないはずはないもの。

 

昨日の晩友達とずっと長話をしてた。最近特に忙しいらしいから悪いことをしたなと思った。でもお話はとても楽しくて(自分本位だったかもしれないと少し反省はしている)、その時に僕は自分が思っているよりは幸せであるようだと教えられた。わからん、いい子だから前向きにさせようとしてくれるのかもしれない。でも、そこにさえ疑ってかかるから、どうにもシンプルに着火できない。日記はなんとか毎日続けているからそれはそれで良いんじゃないかと思う。しかし人類から見た僕はどうだろうか、ゴミのようじゃないだろうか。いやずっと嫌われがちだから、そう評価する人も一定数いるのは知っているのだけど、そういう話ではなくて。地位、名誉、経済的余裕。そういう話。でもそれさえ幻想なのかもしれないなとも思う。だってそれを手に入れている人を羨ましく感じる一方で窮屈だなとも思う。何かを得るということはそれなりの代償があるということだろう。パナマ文書に名前が載っているような人だって金持ちにならなければそうはならないだろう。

 

とするとだ、僕が幸せに向かうためには何かを犠牲にする必要があるのだろうか。幸か不幸か今の僕には時間くらいしかない。その時間を怠惰に、しかしある種充実感を感じながら過ごしている。時間を失うのはいやだ。こういうくだらないことを考えて、もんやり生きていたい。それが今の自分の幸せだって本当は知っているんだ。そんな自分が大好きなのさ。

 


キリンジ - エイリアンズ