高いチーズより安い味つきのチーズのほうが美味しい(ブラックペッパーだとかアーモンドのやつ)

とんでもなく眠い。ここのところ家でいい感じにリラックスできているのかテレビをつけっぱなしで寝てしまう。そのせいか、どことなく疲れが抜けてない。まぶたが鉛のように重い。自分は社会で生きていくことに本質的に向いていないように思える。むかつくことにはむかつくといってしまうし、たのしいときには声高らかにたのしいといってしまう。社会はそれを良しとしない。しかるべき場所、しかるべきタイミングで、しかるべき態度をとるべきだと社会は自由を拒絶する。むしろ自然であるだろう行動は非常識となってしまう。無常。こんなに頑張って社会にあわせようとしているのに、うけいれてくれないのは意地悪すぎる。

 

「もう自分なりに努力してもどうにもうまくいかんなら、それはもはや社会が悪い。俺は悪くない。」

 

この間ネットサーフィンをしていたらこんな文言を見つけた。革命者に賞賛をあげる聴衆のごとく、まさにそのとおりだと唸った。強い、なんと強い人がいたものか。しかしよく考えるとその人も社会適合できておらず、マイノリティの味方を一人得た(気がしている)だけにすぎないのだが。

 

ああ、楽しいことをしたい。楽しいことだけしたい。楽しいことができない。憂う。頭の使い方の問題。どう使う。わからない。わからぬまま文字をうったりゲームをしたりお酒を飲んだり。いろいろする。重いはずの瞼はなかなか眠りの国につれていってくれない。テレビが深夜番組に替わるころに自分の在り場所を確かめる。テレビショッピングに替わるころには明日のご飯を考える。それも佳境にさしかかるかどうかで地球のことを考える。今日もいろいろなことを考え確かめ感じるだろう。生きているだけで、それだけですばらしいと思う。僕の頭は僕だけのもの。悩みがなさそうだねってよく言われる。違うんだ、悩みが熟成されてしまっているんだ。チーズだったらとんでもなくランクの高いチーズだろう。でも悲しきかな人間だった。

 

でもだから人間なんだろう、とも思う。