夜は過ごしやすい

東京に来た。でもバンドはやめた。25年目で初めての自由を手に入れた。僕には何をしたら良いのか皆目検討もつかなかった。

 

やさしい自分でいたかった。この町でやさしくい続けるのはずいぶん難しい。だからといって知っているほかの町でやさしく生きられるか、といえばそうでもない。よく言えば今を生きている。角度を変えれば退廃的に生きている。それは死んでいるのと大差ないかもしれない。生きる。人身事故の知らせ。よぎる。どうして若い命を無駄にするのか。思ったりもする。でも最近は割とわかる。能動的に死にたくはない。誰しもそう。ただ疲弊して、やるせなくて、ぼんやりと憂鬱な朝は、線路に歩みが吸い取られていくような。そのあんばいで死んだり、死ななかったり。それだけなんだろう。僕や生きている人は、たまたま生きているだけなのだろう。

夢想。それは何の意味もないのだ。実行、しなければ。よくもわるくも、なんらかの行動をしなければそのままでいるほかない。6畳の部屋とウィスキー。それが幸せだと感じるのは少しは歳をとったせいだろうか。