鳴らせるはずの音。鳴らせなかった音。

誰も知らないくらい部屋で一人。回想。強がりをやめたら、ただの弱虫だった。手を取り合うことができたならば、もっとうまくいくだろうか。確かめる術はない。僕は手という存在を忘れてしまっている。思い出そうにも、うかばないのだ。造形も、匂いも、概念さえ、わからなくなってしまっている。

 

ないところから何かを生み出すのは、困難。人はそれを創作と呼んだりもする。しかし、世にあふれている創作は大概何かのオマージュ。音楽にいたってはモーツァルトのころには現代の音楽はすべて出尽くした、といわれているほどだ。それ故、忘れてしまっている僕は、それを思い出すことは不可能に等しい。たとえばうまく創れたとして、それが大多数の知っている手であろうか。自分の中で想定する手であって、万人が知っている手ではない。当たり前に知っていることを忘れてしまった。もう終いなんだ。

しかし、そんなことを考えている場合ではない。もう、行かなきゃならないんだ。詳細や希望に委ねたり、こだわっているのはもうやめにしなければ。先に進むんだ。目の前の問題から目を逸らさずに。生きること、言い換えて金にこだわる生活。理想は理想でしかない、現実はすぐそこにある。すぐそこにあるから目を逸らしたくなる。近しい存在ほど遠ざけたくなるのは人間の性というものだろう。あるいはマクロに引き上げてごまかしているだけで、僕の性なのかもしれない。

 

通勤。音楽を聴いている間は喧騒から逃れられる。あれほど音楽を嫌いになったはずなのに、音楽から逃れられないのだ。こんなに悲しいのなら音楽なんかもういらない。こんなに苦しいのなら音楽なんていらない、と啖呵を切ったのに。日に日に研がれていく自分に幻滅していたはずなのに。今日、音楽を聴いていた。僕だったらこうプレイする、君ならどうする?僕にはこうできないかもしれない、でもだからこそのアプローチがある。適わない、勝てる、負ける、嫉妬、尊敬、幸せ、悲哀。無限と錯覚するほど溢れるイマジネーション。行き先を失って、強い衝動だけ残り、酒をあおるように飲む。朽ちるだけ朽ちて、どうなるのだろう。幸せには思えない。

 

何もない。何もなくなってしまった僕は、何をする。何もできない、することがない、するふりだけしかしない。しかし思うのだ、こんな僕だから見える世界を描けると。楽器を叩いていた指はローマ字を叩いている。ある種音を奏でる自分の文章で、何かしらの解決まで紡ぎたい。音を鳴らしたい。鳴らし方が変わってしまったが、音を鳴らし続けたい。悔しい。本当は…悔しい。

 


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